大井町の語り部

合田さんのお話3

それからついでに申し上げますと約5年くらい前に阪急と阪神は合併しました。
それから42年の夏休みのロボット展、44年には品川歴史展があります。これは私の中でも自慢の仕事の一つです。小さいながらも催事場を持ってまして、そこでロボット展をやりました。ロボットと言いましても今のロボットとは違いまして、今のロボットは遠隔操作や自動で動きますが、当時のロボットはいわゆる漫画に出てくるような形をしていました。いわゆる電池、バッテリーで動かしていました。だけれども非常に評判を呼びまして、しかも真っ先にNHKが取材に来ました。この大きなロボットをスタジオに持ってきてくれないか?と言われまして朝のお子様向けの番組、7時くらいでしたか?それに出演させようということでNHKのスタジオに朝早く行って声は吹き替えの方がやってくれました。スタジオの中でロボットを動かしました。
その番組を見てくださった方々が大井へ殺到いたしました。駅からザーッと並ぶ感じの騒ぎでした。

開店記念の大井阪急の写真

昭和の大井町駅前広場

それから品川歴史展、品川には歴史的な物がたくさんあるはずだということで多少勉強して教育委員会の方にも協力していただいて鈴ヶ森から東海寺からこの近くのお寺さんも紹介していただきました。例えば鈴ヶ森では火炙りの刑に使った真ん中に穴が空いている石がありますよね。その台座の石を持ってきたり、東海寺さんからは御朱印状でしたか、とにかく会場いっぱいに展示いたしました。

東海禅寺
重要文化財的なものも若干ありました。まぁ興味を引きそうな物をいっぱい集めまして、展覧会をやって教育委員会を通じてご指導いただいていた関係で小学生を動員していただきました。連日、小学校の生徒さんにきていただいてました。これも評判が良かったです。阪急も品物を売るばかりではなくそういった文化的なことも少しはやっておりました。

鈴ヶ森刑場

台座

昭和44年に大井開発についてのメモの中に中内氏視察とあります。これはダイエーの中内さんのことです。実は阪急の隣の鐘紡の工場の土地はそのまま空いてたんです。かなり広くて2000坪の空き地がありました。23年ほど空き地だったんですが、ある日、阪急の食堂に中内さんがいらっしゃって。おつきの方と食事をなさってて、あれ?あれ?阪急で食事してなんだろう?と思ったんですね。そしたらその隣の空き地を視察に見えてたんですね。中内さんが視察に見えてたことを幹部に話しましたら、これは大変だということになりました。それでその2000坪の土地を阪急は百貨店として増築することになりました。約2000坪、当時の値段で25億でした。百貨店だけの経営では厳しいので、総合的なホテル、ビジネスホテルにしてその下にボーリング場を作ったりテニスコート、ゴルフの練習場を作ったりしました。そういう総合的な複合施設を作って、中心的なのはホテルでした。人手が全くかからない徹底した合理化を図ったホテルでした。シングルばっかりで800室だったかな?それで1600円という価格は当時、サラリーマンが出張して宿泊費の1600円を払って飲んで、食べてすると若干お釣りがくるということで関西から出張してくる人には非常に受けて、評判をとって連日満室の状態になりました。まぁそういう流れを引き継いで今の阪急ホテルがあります。今はシングルで5500円でやはり比較的安いんですが、前と違ってお風呂にシャワーが付いています。

アワーズイン阪急