大井町の語り部

スライドで巡る
大井町1

本日はご依頼により名所めぐりを企画いたしました。
大井町も再開発による旧国鉄車両用地の開発や駅前の高層ビルの建設により新な住民が増加しております。是非、ふるさと大井町の魅力に触れていただき大井町を好きな街にお加えください。


 出発は、まずこの大井町駅。 大正3年より営業開始されます。
 1日30万人程以上(東急10万人、国鉄16万人、臨海6万人)の乗降客があります。
大井町駅アトレは平成5年完成。

平成14年にりんかい線開通。
りんかい線改札

アトレ2は、平成23年完成です。
アトレ2外観


 
 大井町は近年、大規模な地域開発が予定され大きな変化が予測されています。
どのように町が変わろうと町の歴史は変わりません。昔は友人に大井町と言えば『競馬場と飲み屋』大正時代には『職工と女工の煤汚れた街』のイメージでしたが、今では新たに大井町に住まわれる方も増え、その方々に伺ったところ『とても美しく整備された町』で『交通が便利である』などとおっしゃいます。
新たな方々にも大井町の見るべきところなど歴史と共に名所めぐりをいたしましょう。
本日のコースは、品川区史跡めぐり大井町コースをモデルといたしました。
 大井町は1丁目から7丁目まであります。それと西大井、東大井、南大井。
今回は、身近な大井町周辺といたします。

まず基本的な街の歴史と特色をお話いたします。
 源頼朝は治承四年(1180)8月の挙兵で石橋山合戦に破れ、安房に逃れ10月に再挙した時、大井実春・品河清実兄弟は頼朝の家人となり以後、大井実春は目覚しい活躍をし武功を挙げた事が「吾妻鏡」に記されています。
鎌倉時代には武蔵の国の大井郷の領主―大井実春(さねはる)が六郷の(保司・ほうし)に、任ぜられました。六郷とは(大井、大森、鎌田、堤方、原、八幡塚)です。六郷の領主の大井氏邸は光福寺と来迎院の間に有ったそうです。
江戸時代、武蔵国荏原郡は、麻布・品川・馬込・世田谷・六郷の五領から成り立つ広い地区でした。品川領は幕府直轄領や寺社地の多い土地で郡代が支配しました。
南品川宿、北品川宿、二日五日市村、上大崎村、下大崎村、居木橋村、谷山村、桐ヶ谷村、戸越村、上蛇窪村、・下蛇窪村、大井村、中延村、小山村、それに享保七年(1722)、品川宿に歩行新宿が加わった、三宿12村体制でした。
天保時代(1830)、において大井村は、1,657石の石高で、荏原郡五領94ヶ村中最大の村でした。天正年間(1580年代)居住者が16軒住んでいたと言われ此の事は新編武蔵風土記にも記してあります。

二日五日市村
二日と5日に市が立つことから名の由来になったそうです。現在の南品川町