大井町の語り部

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大井町8

 

昭和35年(1960)町会の手書き地図をご覧ください。
鐘紡の工場、大井浴場、新世界プール、三又商店街が記されています。
日本理化工業は大正15年創立の電気機材の会社で年間150億の売り上げがありました。

貴重な写真です。まず、工場の煙突があります。そして、立会川がまだ見えています。また、左上にプールもあります。 
山中小学学校の周辺の歴史へ

伊藤公の別邸後は明治以前は上杉様のお屋敷でした。
次は、倉田町です

こちらの写真は、
三っ又の本道り交番になります。
覚えていらっしゃいますか?


次は、第一小学校周辺です。

第一小学校前のバス停は昔、札場駅でした。
これは手描きの昭和12年の街並の絵です。
たんけん隊の活動に講師でいらした浅野様が作られたものです。
火のみ櫓(やぐら)、庚申塚と滝王子と出石(いずるいし)にある札場の掲示板。
池上通りは昭和11年にできる。
本門寺のお会式の時には万灯(まんどう)の行列が仙台坂から池上へ続き圧巻でした。
大村病院には大きな柿の木が在りお会式に皆で食べたそうです。
その為、それまで柿を食さない。

学校ができたのが明治8年、鉄道の開通が明治5年ですが、大森駅が開業したのも明治8年。寺子屋が私塾となり、明治8年5月15日、私塾が第二中学区第19番公立小大井学校となる。「大井第一小学校」 (大井6一1ー32) 
(創立記念誌より)明治8年(1875)来迎院に簡易的に小学校開校。児童数92人(男68人・女24人)、教員3名、校長・中島慈誓、教員・大島義武・横瀬良忠、学校世話係1名で始まりました。大森駅と大井第一小学校は同じ年の生まれということになります。ちなみに大井町駅は大正3年です。


昭和7年に発行された大井町役場より発行された大井町史にこの様に記されています。
↓倉田町

↓二葉、森下

ご近所のお宅が見つかりましたでしょうか?
ご近所の方も大分変られたでしょうね。
昭和35年(1960)の大井地区の住居表示でした。


高層ビルが建ち乗降客も増大し美しく大きな町に代わります。そして、災害に強い街にも変貌しつつあります。
しかし昔の街並みが消えていくことは少し寂しいですね。 
懐かしい写真と大井町の話、お楽しみいただけましたでしょうか。
私は生まれ育った昭和の大井町が大好きで、品川たんけん隊の活動をしていました。
本日はここまでといたします。お疲れさまでした!
ありがとうございました。