大井町の語り部
中島さんのお話2
なかなか80年前のお話になりませんが、支那事変が昭和12年に始まりまして日本は軍国主義になって行くわけですが、我々が入学した昭和15年は、期限2600年ということで盛大に国でお祭りをした年でした。今、ドラマ韋駄天でご覧になっているようですが、非常にいい時代だったと思っております。
我々の学年は疎開の思い出、この仲間でございます。昭和14、15年は一番華やかだった時代でございました。相撲の写真がございますが、当時は相撲が盛んでした。鹿嶋神社の境内には相撲場があって、時々大会があったようです。お祭りも盛大にやっております。当時は、7月の18、19日が夏祭り、本祭りは9月の18、19日と記憶しております。曜日ではなくて日にちでやっておりました。相撲で言いますと当時、有名なのは双葉山、男女ノ川(みなのがわ)の時代でした。
奈良時代の道については、隣の山王の日枝神社の隣、山田歯科医院のところに記念の説明板がありますので、散歩のおりにでもご覧になってみてください。奈良時代の道、その後は平間街道、日蓮聖人が池上で亡くなった本門寺があって、池上街道、今の池上通りということになって、ずっと続いております。昭和14年頃、ようやくこの池上通りも今の幅に拡がりました。その前は向こうの浜川小学校の前の狭い道をご存知でしょう?そのぐらいの幅でしたから自動車がすれ違えないで、側溝に落ちてなおすのをよく目にしたものでした。
本門寺のお祭りでは、10月12日、万灯の行列が次から次へと太鼓を叩いてきらびやかに行進をしていました。
それも楽しい思い出でございます。
また、鹿嶋さんのお祭りの日は、たいへんににぎやかでした。今も境内にはたくさん店がでておりますが、当時は学校の手前のスーパーの辺りまで店が出ていまして、たいへんな賑わいでした。
それから、住宅地ですので思い出すまま申し上げると山王側から滝王子の池と出石(いずるいし)の池からの流れが今の庚塚公園で合流して池上通りから線路を通って海の方へ川が流れていました。その川が区の境です。その向こうは大田区山王、当時の大森区山王です。こちら側は、品川区大井鹿島町。今、マンションが建っているところに後楽園のボーリング場があったのはご存知かと思います。その前は、蒔田さんという大きなお屋敷があって池がありました。おたまじゃくしやカエルがたくさんいました。その後、プールになったりしていました。今は、りっぱなマンションが建っています。その隣の大森貝塚遺跡庭園は、三井家の親戚の大きな財閥のお屋敷がありました。戦争中に国に接収されまして、国鉄の大井工場の従業員宿舎になりました。その後、国鉄寮を経て今はりっぱな遺跡庭園になっています。
遺跡庭園の中に、モース博士の胸像が建っています。