大井町の語り部

中島さんのお話3

今の東急バスの操車所のところにアパートがあって、戦災でそこが一軒だけ焼けました。それから桐畑の地下道に向かって立派な道ができています。ここは昭和12年頃から今の環七に相当する道をつくるつもりで、鈴ヶ森の方から線路までは道路が拡がっていたけれどこちらは山を崩す為に毎日馬車が来て少しづつ崩し始めて結局、地下道ができたのは昭和50何年かで、何十年もかかって開通したということです。
庚塚公園あたり
ここも線路から池上通りまで有馬さんという貿易商が薬を作ってました。その方のお屋敷だったんです。その一画を我が家が買って今も住んでいます。その方は道路予定地になって大損害をなさったと聞いています。立派な道路の予定だったのが今は歩行者用の地下道になっております。地下道の中に貝塚の立派な標本があります。以前は踏切があって、2人続けて亡くなった方がいらっしゃいました。 貝塚の標本
湧水
地下道の海側出口で、今も水が湧いており金魚が泳いでいます。この湧き水は、国分寺崖線の最後の所の自然の湧き水ということです。

踏切番のおじさんが、その水で米をといでいたのを記憶しております。その北の水神さんにも水が湧いていたんですが、いつの間にか枯れてしまいました。今は、汲み上げて水を流しております。
水神さんの水所
浅野医院隣説明板

言い残しましたが、後楽園の所に児島惟謙(こじま いけん)さんという大審院院長(現在の最高裁判所長官)が住んでおりました。明治の初め、ロシアの皇太子が巡査に刺されたんです。それで「極刑にしろ!」と言うのを日本の法律では死刑にできないからと言って救ったというお話でした。これも説明板が浅野医院の隣にありますので、おいでになったらご覧になってください。
大井7郵便局
それから今、郵便局があります。大井7郵便局、当時は、鹿嶋郵便局。その北隣に学校の同窓会会長だった岡田家の味噌蔵、南隣に愛濱と言う肉屋さんがありました。その手前、藍家があるマンションですが、岡田一郎さん、長年、同窓会会長をつとめていらっしゃいましたが、味噌屋さんをやってました。立派なお屋敷があったところです。

ガソリンスタンド
こちら側の鹿嶋神社側は、たばこ屋さんがあったり、ガソリンスタンドの所には喜安(きやす)さんという偉い方が住んでいました。喜安健次郎さんという鉄道大臣がお住まいでした。
その裏の方、日本銀行の寮になっています。ここは上原勇作という陸軍元帥が住んでいました。多分、鹿嶋神社が戦の神様なのでそれにあやかって、ここに居を構えられたのだと思います。その上原元帥のお屋敷があった後、日銀の寮になりました。そこに住んでおられたのが、横田滋さん、早紀江さん、娘さんはめぐみさん。大井第一小学校でも何度か激励会が開かれております。表側に来て品川歴史館があります。ここは安田さんという財閥のお屋敷があったところです。
品川歴史館
そして、今スーパーのトップがあるところにもお屋敷がありました。その裏には来迎院、光福寺がございます。そして、こちらへ来て西光寺がありますが、これが奈良時代のあずま道、街道のあとだと聞いております。で、学校のすぐ隣は増山さんという材木屋さんがありました。あの鹿嶋交番は、昔からありました。そのならびにも何軒かの商店がありましたが、静かな住宅街になってしまいました。