大井町の語り部

中島さんのお話5

 学校行事ですが、祝祭日に四大節というのがありました。1月1日(四方拝)、2月11日紀元節、4月29日天長節、11月3日明治節には学校で式があります。全員集まって校長先生がうやうやしく勅語を奉読されて、皆さん最敬礼して歌を歌う。
天長節の歌詞
正月は、♪年の初めのためしとて。紀元節は、♪空にそびゆる高千穂の。天長節は、♪今日のよき日は大君の。明治節は、♪アジアの東、日いづるところ。それを音符に添えて仮名がふってあったのが、ケフノヨキヒハオホキミノ、と旧仮名づかいで書いてあります。旧仮名づかいでは、大井町はおほゐまちですね。


国民学校になった昭和16年から、12月8日が大東亜戦争の開戦の日。毎月8日はみんなで戦の神様、鹿嶋神社へお参りに行きました。家で不幸があった忌引きの方だけは待っていたというわけです。拝み方が悪いと先生から指導を受けました。昭和19年に疎開、20年には我々の学校も焼けてしまいました。昭和21年卒と書いていただいてますが、我々の仲間の何人かは卒業しておりません。残念ながらよその田舎の学校を卒業して、卒業証書はそちらでもらって、後から同窓会に入れていただいたというような事でございます。

古い話ばかりでもいけませんが、そういう歴史のある町、東京都が歴史と文化の散歩道という都内で20コースほど作っております。ここは北品川から旧東海道を立会川のこちらまで来て、品川歴史館へガードをくぐって上がってきて、大森駅の先、暗闇坂から馬込の方へまわって池上へ行くと立派な標識がたっています。水神様のところの向かいにも案内板がありますので、行って見られたらいかがでしょうか?

 台本なしで話してまいりました。住宅地として、非常に良い場所でその頃、過ごしていたと思います。
話し忘れたこともあったかもしれませんが、お役にたてれば幸いでございます。